「ヌード」をみること・「ヌード」でみること:アートをおしきせ 20180508

ARTLOGUE 編集部

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多彩なコンテンポラリー・アートを中心に展示する美術館「パレ・ド・トーキョー」。ヌーディスト向け特別鑑賞会の実施で話題を呼びました。

 

5月5日、フランスの「パレ・ド・トーキョー(Palais de Tokyo)」では、「パリ・ナチュリスト協会(Paris Naturists Association)」と協力して、ヌーディストに向けた特別鑑賞会を開催しました。近年のフランスではヌーディストレストランがオープンしたり、パリ市東部の森林公園「バンセンヌの森」の一部が期間限定でヌーディストに開放されたりしています。

今回の特別鑑賞についても、そうした流れの中、美術館の「寛容さ」を示すことを狙っているのだとか。

裸の美術鑑賞については、今回以外でもオーストリアはウィーンのレオポルト美術館で2013年に行われています。その時美術館で行われていたのは、美術史での男性ヌードの表現の変遷、その多様性を取り上げた写真展「Nackte Männer(裸の男性たち)」。ヌードをヌードで鑑賞するという試みは、ドイツのヌーディストグループからのリクエストを受けてのもの。面白いことに同館では、更に遡ること2005年にも、セクシャリティーやジェンダーをテーマに、グスタフ・クリムト(Gustav Klimt, 1862~1918)やエゴン・シーレ(Egon Schiele, 1890~1918)等のエロティックな作品を紹介する展覧会「Die nackte Wahrheit」で、ヌードないしは水着着用で鑑賞すれば無料という日を設けていますが、この時は開催時期が夏の期間だったため、海やプールで脱ぐのが心地よいなら美術館でもどうだろう、他がやっていない面白いことにチャレンジしてみたいという発想から実現したようです。

これを読むとレオポルト美術館をとりまく環境は、裸体やその表現について寛容で相当ラディカルなのかと思いきや、「Nackte Männer」では展覧会のポスターが性器をむき出しに立つ男性3人の写真作品を使用していたことで物議をかもしたとのこと。

今後先例にならって、ヌーディストがヌードで鑑賞できる機会は増えていくのでしょうか。

例えば、現在横浜美術館で展覧会「ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより」が開催されていますが、日本でも同様にヌーディスト向け鑑賞会が開かれるのはまだまだ先のことでしょうね。

裸であることは、その時のシチュエーション、社会規範や価値観等によって意味合いを大きく異にします。「Nudism(ヌーディズム)」自体は、近代へと移行する中、加速度的に進んだ工業化が生んだ「自然回帰」志向から派生したものです。急速な社会の変化にゆらぐアイデンティティーをみつめ、人らしく生きるとは何かという問いから答えの一つでもあります(それだけにヌーディズムではなく「Naturism(ナチュリズム)」という呼称もあるほど)。そもそも私達は裸でこの世に生まれましたが、服をまとうとともに、この社会の中で生きる上で育まれる何かも併せてこころにまとうようです。そのまとっているのものは、自分を覆い守ってくれるものなのか、それとも時には脱ぎ捨てるべきものなのか。

「ヌード」を題材にした作品は試金石のように、ポジティブな面、ネガティブな面も含め自分自身気づいていない「自分」に自分に気づかせてくれます。「ヌード」でみることの効能はそれを更に過激に推し進めることになりそうです。とてつもなく開放なのか、とてつもなく不安なのか…裸で美術鑑賞したら、目から鱗の体験をもたらしてくれるかも!と好奇心がわくとともに、人前での裸に抵抗があるので、「そもそもなあ」ともやもやと考えてしまいました。New York Timesの記事を読むとパレ・ド・トーキョーでの鑑賞会には、ヌーディストとしてはビギナーの人も何人か参加していたようなので、感想をきいてみたいです。