「装う」を見つめ直す ―アーティスト西尾美也の可能性

「装う」を見つめ直す ―アーティスト西尾美也の可能性

皆さんは朝、家を出るときなぜその服を着ているのでしょうか。

街でスーツを着ている方を見たらあなたはその人は何をしている人だと思いますか?セーラー服を着ている女性を見かけたらどんな人だと思いますか?
私たちは、女性なのか男性なのか、学生なのかサラリーマンなのか、様々なことを服で判断しているのではないでしょうか。
鷲田清一の著書『ひとはなぜ服を着るのか』の中でも、「性差が服装の差異を決めるというよりも、服装の差異が性差をかき立てる」と、記されています。
個人的な体験ですが、スカートを履いて街を歩くと、嘲笑されることもあります。男性とスカートの組み合わせは、一般社会では異質なものとして映るようです。
このように、服が1つの判断基準となっているからこそ、毎朝、自分の社会的役割に応じて無意識に何も疑うこと無く、服を選んでいるのかもしれません。
 

ここでご紹介する西尾美也さんは、そんな、装うことに対し考えるきっかけを与えてくれるアーティストです。

西尾さんは衣服をメディア(道具・媒介するもの)として捉え、衣服を用いた作品を通じて、我々の生活における最も身近な文化、「装う」という行為に対し揺さぶりをかける作品を数多く発表しています。

それではその手法や作品をいくつかご紹介していこうと思います。
まずは代表作をいくつか紹介し、その後、現在国内で見ることが出来る作品のご案内をします。

 

 

代表作品を知りたい!!

 

Self Select(セルフ・セレクト)

街ですれ違う人と着ている服をその場で交換して、着用します。そして、その姿をポートレイトする作品です。

これまでにフランス、ケニヤ、ベナン、ニュージーランドの世界4都市で行ってきました。都市により反応も異なるようですが、他人の服を着ることで、自身の着ていた服との違いに違和感を感じ、装うことを見直すきっかけを与えます。

Self Select(セルフ・セレクト)

Self Select(セルフ・セレクト)

ケニヤのナイロビ(上)とニュージーランドのオークランド(下)での写真

 

Self Select(セルフ・セレクト)

Self Select(セルフ・セレクト)

このような試着室を使ってその場で服を交換します。写真はケニヤのナイロビ(上)とニュージーランドのオークランドの様子(下)

 

Overall(オーバーオール)と People’s House(人間の家)

Overall》は、対象地域の住民から、思い入れのある着なくなった服を回収し、布片へと解体、パッチワーク状につなぎ合わせ、その場に昔はあったが今は無い喪失物を、市民と共同で、再構築する作品です。これまでに、ケニヤでは蒸気機関車を、フランスではUボートを制作しています。
様々な思い入れのある服を解体し、再構築するプロセスの中で、対象地域の住民内に新たなコミュニティ及びコミュニケーションが生まれます。
Peoples House》は、《Overall》で制作されたパッチワークの布を集め、さらに細かく解体し、再度パッチワーク状につなぎ合わせ、大勢の人が内部に入る、大きな服としての家を制作します。その家の中に人々が集うことで新たなコミュニティが形成されます。そして、最終的にその家は解体され、個人の家としての服に切り替わります。

ケニヤのナイロビで蒸気機関車を制作した際の様子。ケニヤでは1900年頃に鉄道が建設され、蒸気機関車が走っていました。(撮影:千葉康由)

ケニヤのナイロビで蒸気機関車を制作した際の様子。ケニヤでは1900年頃に鉄道が建設され、蒸気機関車が走っていました。(撮影:千葉康由)

Overall”(オーバーオール)

Overall”(オーバーオール)

作品の中に人が入り、歩くことで蒸気機関車を動かしました。

Overall”(オーバーオール)

フランスではUボートを制作。

Overall”(オーバーオール)

Overall”(オーバーオール)

Uボートの制作の様子

People’s House(人間の家)

埼玉県北本市で制作した《人間の家》(撮影:齋藤剛)

People’s House(人間の家)

内部の様子(撮影:齋藤剛)

People’s House(人間の家)

最後は個人の家としての服に変化する。(撮影:齋藤剛)

People’s House(人間の家)

 

FORM ON WORDS(フォーム オン ワーズ)

《FORM ON WORDS》はワークショップとアートプロジェクトの活動から発展し誕生したファッションブランドです。
思い入れのある服を参加者が持参し、その場でブランドのスタッフと会話をします。その会話から抽出された言葉をベースに服がデザインされ、制作者がそのデザインに基づき、持ち込まれた服を再構築するものになります。 
この活動は様々な地域でされており、その地域の新たな装いを生み出すことを1つのミッションとして開催されています。 
これまでに「すみだ川アートプロジェクト」(2012)、「アサヒ・アートスクエア」(2012)、「拡張するファッション」水戸芸術館現代美術センター(2014)や「服の記憶 ― 私の服は誰のもの?」アーツ前橋(2014)にて作品やワークショップを行っています。

 

今すぐ見れる!!国内展示

 

あいちトリエンナーレ2016 《パブローブ》

2016年8月10日に開幕し10月23日まで開催されているあいちトリエンナーレ2016では《パブローブ》と呼ばれる作品が展示されていります。 
この作品はこれまでにも展示されたことがある作品ですが、今回は建築家ユニット403architecture [dajiba]とコラボレーションをしております。

あいちトリエンナーレ2016 《パブローブ》

1,000着以上の洋服が会場には展示されている

あいちトリエンナーレ2016 《パブローブ》

寄贈した人の思い出のコトバが書かれたタグが服に付けられている

今回は愛知県の方から寄贈された1,000着以上の、思い入れのある着なくなった服と、その服の思い出のコトバと共に、美術館に公共のワードローブとして展示されています。 
この服は週末のみですが、図書館のように借りて行くことが出来ます。

あいちトリエンナーレ2016 《パブローブ》

会場では自由に試着も可能

あいちトリエンナーレ2016 《パブローブ》

貸し出している服は思い出のタグを外し、管理される

また、この《パブローブ》では、週末になると様々なワークショップやイベントも開催されています。今回は、先日ワークショップを開催したニットアーティストの宮田明日鹿さんにお話を聞いてきました。

 

あいちトリエンナーレ2016 《パブローブ》

家庭用編み機を使ったワークショップの様子。年齢の数だけ編み、参加した人数分のボーダーが形成される。

宮田さんは、家庭用編み機と糸を使った作品を制作するアーティストです。
今回は《パブローブ》の中で、年齢の数だけ編むというワークショップを開催しました。来場者は好きな糸を選び、パブローブ内の編み機で自分の年齢分だけ編みます。参加した人の数だけボーダー柄が生まれ、1つの生地になります。 
このワークショップは、年齢も様々な方が参加でき、年配の方になると、過去の自身の生い立ちを振り返りお話をする方もいたとのことです。

あいちトリエンナーレ2016 《パブローブ》

ワークショップで完成した生地を持つ西尾さん(左)と宮田さん(右)

あいちトリエンナーレ2016 《パブローブ》

ワークショップで作られた生地で仕立てたワンピースはパブローブに寄贈されました。

この場で作った生地はワンピースに仕立てられ、《パブローブ》に寄贈されましたが、取材時には残念ながら貸し出されていました。
《パブローブ》では、週末になると様々なワークショップが開催され、服を介し、コミュニティやコミュニケーションが生まれます。また、寄贈した方も、自身の服の思い出に触れることで、今まで失われていた服の記憶が蘇り、服に対する思いが揺さぶられる作品です。

あいちトリエンナーレ2016 《パブローブ》

参加者が展示されている服を使ってリメイクが出来るように設置されたミシン。リメイクされた服は既存の服のタグが外される。

 

東アジア文化都市2016奈良市 古都祝奈良(ことほぐなら)― 時空を超えたアートの祭典 《人間の家》と《ボタン/雨》

2016年93日から1023日まで開催される「東アジア文化都市2016奈良市」のコア期間プログラム「古都祝奈良」では作品を2つ見ることが出来ます。 
まず1つ目は鎮宅霊符神社(ちんたくれいふじんじゃ)で展示されている《ボタン/雨》です。
こちらは奈良の方から集めた洋服に付いていたボタンを連ねて雨のように見立てた作品です。ボタンも見方を変えるだけで新しい光景が広がります。

《ボタン/雨》

《ボタン/雨》

数多くのボタンが神社の境内に展示される。色や大きさがそれぞれ異なり、様々なボタンを見るだけでも楽しくなります。

2つ目は《人間の家》と呼ばれる作品です。先ほど同様に、奈良の方から服を集め、これを四角形の布片に裁断します。裁断した布をミシンでつなぎ合わせ、パッチワークされた一枚の布になります。その布を使い1つの家を作ります。

《人間の家》

服にはさみを入れ四角い布へ裁断する。

《人間の家》

《人間の家》

四角く裁断された布をミシンで縫い1枚の布へパッチワークされる。

会場の公納堂町の路地奥には古い蔵があり、今回、その横に蔵と同サイズの布の家を制作しています。蔵は危険な状態にある為、現在その中に入ることは出来ませんが、作られた布の家に人が集い、会話をすることで、服の記憶と共に、蔵の歴史にも思いを馳せられるのではないでしょうか。

《人間の家》

会場横の古い蔵。危険な状態なために中へ入ることは出来ない。

《人間の家》

《人間の家》の中に入ると様々な色の布が太陽光を通しカラフル。素材や織や編によっても見え方が変わるのが面白い。

この《人間の家》は市民の方が解体、構築を一緒に行い制作されます。制作過程の中で様々なコミュニケーションが生まれ、その場の記憶や服に対する見方に新たな視点を与えてくれます。取材に行った際、ミシンを体験したことが無い大学生がミシンを踏み、子供がはさみで服を切っていました。この作品の制作過程の中で新たなコミュニティが形成されています。その風景も作品の一部となるのです。

《人間の家》

様々な方が出入りし作品が制作される。

人間の

人間の家の中には机や椅子も用意されています。この場に集い生まれるコミュニティも作品の風景です。(撮影:木奥惠三 / 提供: 東アジア文化都市2016奈良市)

 

さいたまトリエンナーレ2016 《感覚の洗濯》

2016年9月24日から12月11日まで開幕している「さいたまトリエンナーレ2016」では西尾さんの新作《感覚の洗濯》が見られます。
《感覚の洗濯》は「洗濯の音楽」、「洗濯の展示」、「洗濯の花見」、「洗濯の写生会」、「洗濯の試着」という5つのパートから構成されています。この作品は地域住民に服を5着以上持ってきていただき、洗濯板を使用して洗濯を行い、それを干すというワークショップ形式の作品です。展示ではその様子をまとめた映像と実際に使用された洗濯板、石けん、たらい、絵の具などが展示されています。

 5つのパートの簡単な説明は以下の通りになります。

「洗濯の音楽」

さいたまトリエンナーレ2016 《感覚の洗濯》

洗濯を手洗いする際の音で音楽を奏でる

 

「洗濯の展示」

さいたまトリエンナーレ2016 《感覚の洗濯》

洗濯した服を干すことで街を彩る

 

「洗濯の花見」

干された色とりどりの洗濯物を見ながら食事をする

 

「洗濯の写生会」

さいたまトリエンナーレ2016 《感覚の洗濯》

洗濯物が干されている風景を描く

 

「洗濯の試着」

さいたまトリエンナーレ2016 《感覚の洗濯》

乾いた洗濯物に着替える

西尾さんは、洗濯物が知らず知らずのうちに隠されてきた文化だと言います。
洗濯機の登場以降、体を使って洗濯をするという行為も失われました。また、いつの間にか洗濯物は人の目につかないところで干すようになり洗濯物を干している風景も失われています。 
その失われた風景をさいたまにおいて再構築し、五感を使う仕組みを構成し、参加者に感覚を開くことを促す作品です。

さいたまトリエンナーレ2016 《感覚の洗濯》

ワークショップ時に実際に使用された石けんと洗濯板とたらい(洗濯の音楽)

さいたまトリエンナーレ2016 《感覚の洗濯》

ワークショップ当日に使用された洗濯バサミなど(洗濯の展示)

さいたまトリエンナーレ2016 《感覚の洗濯》

ワークショップ当日に使用された絵の具や鉛筆(洗濯の写生会)

このアイディアは本人がケニヤに滞在していた際に見た、洗濯とそれを干す光景が美しく、それをベースにしているとのことです。
展示会場ではワークショップの様子をジオラマで見ることが出来ます。彩りある洗濯物が並ぶ様子は美しく、当日は100メートル弱、洗濯物が干されていたとのことです。

さいたまトリエンナーレ2016 《感覚の洗濯》

ワークショップ当日のジオラマ

さいたまトリエンナーレ2016 《感覚の洗濯》

さいたまトリエンナーレ2016 《感覚の洗濯》 展示風景

以上3会場の作品をそれぞれ見てきました。

どの作品もその制作工程や、展示期間を通じてコミュニティが形成される環境があります。また、今まで当たり前に着ていた服が姿を変えることや、別の形で触れることで、見え方というものは劇的に変わり、私たちに新しい視点を与えます。

 

西尾作品から考えるアパレルの未来

西尾さんの作品は全て服を媒介して新たなコミュニケーションやコミュニティを創出しています。また、その場の固有性について向き合い作品を発表し、地域の方に新たな装いについて再考するきっかけや提案を行っている点が共通しています。

同時期に国内3カ所で作品を発表している背景に、コミュニティやコミュニケーション、そして固有の地域性という、西尾さんの作品の共通点が非常に重要視されているからではないでしょうか。

実はこのコミュニティやコミュニケーション、固有の地域性は今のアパレルの将来を考える上で非常に重要なキーワードになるのではないかと考えます。

モノが売れない時代といわれ、アパレル業界も付加価値を付けるために様々な手法を凝らしています。高機能商品の開発や、ストーリーを公開するなどその方法は様々です。しかし、それも当たり前になってきています。大手までもが様々なストーリーを付加した商品を開発しています。

世の中には良いものが無数に溢れています。それゆえに着るものに対する興味も失われているのかもしれません。何を買っても大きな差はほとんど出ないからです。あいちトリエンナーレ2016のスタッフの方から聞いた話では、どこで服を集めても、服自体に大きな差はほとんどないとのことでした。

そんな環境で、今を生き抜く為には、モノではなく、固有の場での体験や経験、そしてその場でのコミュニケーションや出会いなどをパッケージにしていくことが今の時代に求められているのではないかと考えます。

西尾さんの作品はそのほとんどが、私たちが参加し、介入することで成立する作品です。

私たちは作品への参加を通じ、装うという行為に対し揺さぶりをかけられているのです。その時、その瞬間に体験できる行為を通じ、誰もが日常的に行う「装う」という文化を再考する契機となるのではないでしょうか。

冒頭の質問、私たちは日々着るものに向き合っているのか。この視点を持つことがアパレル業界の将来にとって非常に重要だと感じます。

ファッションの未来を考えると西尾さんの作品は重要なことを常に発信しています。それ故に私は常に心を揺さぶられ、見るたびに希望を感じてしまうのでしょう。

皆様もぜひこの機会にどこかで西尾さんの作品に触れてみてください。その作品の持つパワーに触れることで今後の装いを見直すきっかけになれば幸いです。

 

参考

 

YOSHINARINISHIO オフィシャルサイト

あいちトリエンナーレ2016 パブローブ

古都祝奈良(ことほぐなら)― 時空を超えたアートの祭典 《人間の家》と《ボタン/雨》

さいたまトリエンナーレ2016 《感覚の洗濯》


1, 西尾美也(2013)『vanitas No.002 | ファッションの批評誌』2013年6月15日号, vanitas編集部
2, 鷲田清一(2012)『ひとはなぜ服を着るのか』筑摩書房
3, アーツ前橋監修(2014)『服の記憶―私の服は誰のもの?』ビー・エヌ・エヌ新社
4, 林央子(2014)『拡張するファッション ドキュメント』高橋瑞木監修, DU BOOKS
5, 脇屋佐起子「装いが閉ざしているコミュニケーションを、装いによって取り戻す」, [http://www.tokyo-source.com/interview.php?ts=70]
6, 松岡理絵(2013)「現代美術作家・西尾美也さん−衣服を交換したり、分解したり。誰もが共有できる「ヘンテコ」を目指して」, [http://bigissue-online.jp/2013/01/09/nishio-yoshinari-san/]

 

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