これからアートは育児をどのように救っていくのだろうか

Seina Morisako

Seina Morisako

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住む国が変わってもずっとアートに救われて育児をしてきました(シンガポールのArtspace@にて)。


「アートは育児を救う」という記事を書いたのはもう随分前になってしまいました。

声を大にして言いたい!「アートは育児を救う」。

私自身の環境に大きな変化があり、改めて「アートはこれからどのように育児を救っていくのか」を検証したいと感じるようになりました。その思いを込めて続編を書いてみたいと思います。

1:外から見る日本のアートイベントの変化

森美術館は美術館における「親子鑑賞」のトップランナーだと思います。ここに来ると「ただいま」な気分になれます。
森美術館は美術館における「親子鑑賞」のトップランナーだと思います。ここに来ると「ただいま」な気分になれます。

本格的に日本を離れて4年が経ち、子供は8歳から12歳になりました。日本で子育てしていた頃と比べて、美術館の子供連れ家族を受け入れる環境作りは格段に進歩したと感じます。1年に数回東京に一時帰国しますが、その度に、子供連れでも参加出来るアートイベントの多さに驚きます。

親子のアートイベントのスタイルも多様化しました。以前はあらかじめ決まっていた日付に事前申込、人数も少人数というスタイルが主流でしたが、森美術館の「おやこでアート ファミリーアワー」のように開館前の美術館を貸し切って親子で美術鑑賞が楽しめる新しい試みが開始されています。こちらも事前予約は必要ですが、途中離脱が可能で定員数が多く設定されていることが特徴。子供は急に熱を出したりすることも多いのでこのようなスタイルだと連れて行く親もプレッシャーが減るのでとてもいいと思います。

しかし、そのような新しい試みと並行して日本では「美術館に子供連れできていいものか」という議論は継続的に討論の対象になります。入場を規制されているわけでもないのに、場所によっては指定された子供料金を払っているのに、美術館の子供連れ入場についての是非についての議論がインターネット上で続いています。何故でしょう?

2:日本以外での育児の中のアート

クアラルンプールのイスラム美術館ではイスラム学校の生徒達が自由に鑑賞していました。
クアラルンプールのイスラム美術館ではイスラム学校の生徒達が自由に鑑賞していました。

私は現在マレーシアのクアラルンプールを拠点にし、三ヶ月に2回ほどシンガポールに移動する暮らしを送っています。その他インドネシア、ホーチミン(ベトナム)、香港、シドニー(オーストラリア)などにも足を運びました。アジア、オセアニアでも多くの美術館を訪れましたがいつも2つの「違い」を実感しています。

1つ目は入場料。日本以外の美術館ではコミュニティスペースやレストラン、ショップなど入場料を払わなくてもアートを楽しめる空間が数多く提供されています。美術館によっては入場料自体が無料の場合も少なくありません。気軽にアートを楽しめる場所で子供達は自分のペースで芸術に親しみ、芸術との向き合い方を学びます。

2つ目は他人の視線。日本以外の国で「子供連れ」、「赤ちゃん連れ」に対する視線を感じたことは殆どありません(現在子供は12歳なので、アジア、オセアニアの美術館ではもう子供カテゴリーではないと言えますが)。静寂第一という考え方もないようにみえます。美術館の中は、親子でも大人同士でも比較的自由な空間です。一方日本の美術館では、「子供が入ってきた」という視線を感じることがまだまだ多いです。

もちろん、英語圏でも「子供を何歳から美術館に連れてっていいの?」という問題提起は存在します(参考:Jessica McFadden「When can I take my kid to a museum?」https://wapo.st/1m4SKLC?tid=ss_tw&utm_term=.500ca0644f89、2018年6月10日アクセス)。回答は様々ですが基本的に「美術館に赤子を連れて行くなんてとんでもない」という意見を見ることはほとんどありません。


3:気になるのは隣の人の視線

ナショナルギャラリー(シンガポール)の草間彌生展は大人も子供もあらゆる層の人が楽しんでいました。
「ナショナル・ギャラリー・シンガポール」の展覧会「YAYOI KUSAMA: Life is the Heart of a Rainbow(草間彌生:人生は虹の心)」では大人も子供もあらゆる層の人が楽しんでいました。

「アートは育児を救う」の記事を書いた際、インターネット上でたくさんの反響をいただきましたが、「子供を連れて家族で美術館!?!無理無理!」というコメントが多かったことに衝撃を受けました。あれから数年経った現在でも、その状況はあまり変わりません。正直、親子鑑賞を11年以上やってきた者として未だに「美術館は大人のもの」という意識が強いのかと驚かされます。同時に「行けない」という親御さんの多さにも驚かされます。なんでダメなんでしょう。ベビーカーの走行や子供が騒がないよう気をつけたり、インフルエンザがはやっている時は避けるなど子供の健康に注意すれば別にいいんじゃないの?なにがダメなの?

そこで自分のtwitterでアンケートをとりました。テーマはシンプル。「あなたが家族で美術館に行かない理由は何ですか」。

驚くべき結果が出ました。
一番多かった理由は「他の観客に怒られるのが怖いから」。

えええええええ

美術館の作品破損が怖いでもなく、料金が高いからでもなく、展覧会のテーマを説明出来ないからでもない。
他の観客に怒られるのが怖い。

そこかよ!!!

でも思い出してみると、私も実際他人に怒られた経験、あります。こちらからしたら「何もしていないのに」と思っているのですが、「美術館に子供を連れてきている大人がいる」こと自体が許せない人も確かに存在しているのです。「美術館は赤ちゃんを連れて来る場所じゃない」、「あなたは子供を連れて来て他の人に気を使わせてることを意識していない」などなど。このアンケートにコメントを下さった方の中にも「自分が美術館や博物館に行った時、子供の叫び声が聞こえてきたらないわーって思う」というコメントもありました。

日本人の「他人が気になる」いう感覚は、美術館のような環境下ではより敏感になるようです。子供連れ側が子供の態度に過敏になるだけでなく、そこに居合わせた別の鑑賞者が子供の存在を気にしてしまう。そこに緊張感がうまれる。アジア、オセアニアの美術館に出入りすることの多い私の場合、こうしたことへの感度がかなり低下しています。やばい。なぜ、そんなに気になるのでしょう。おそらくですが、アジア、オセアニアの美術館に無料スペースが多く、出入り自由であることが関係してるように思えます。日本の美術館の入場料は決して安くない。入場料払ったらそりゃ「騒いだらどうしよう」、「騒がれたらどうしよう」って緊張しますよね。

前述したように、現在、東京、神奈川などの美術館では家族連れを安全に迎え入れる環境作りは着実に進んでいるように見えます。ありがたいことです。

しかし別の変化も感じます。私の子供が赤ん坊の時にはここまでソーシャルメディアは発達していませんでした。悪意がなくてもtwitterやInstagramの書き込みが赤の他人に誤解されたりすることも。美術館側も「ネットにトラブルを書かれないように」を最優先に、過剰な防御策に出る場合があります。「展覧会に入ってから子供連れの私たちを監視員が尾行するようについてきてとても不快だった」というお母さんの声を聞いたことは一度や二度ではありません(推測ですが、このような行為は安全対策と同時に、他の観客に対して「子供が引き起こす可能性のある破損トラブルを事前に避ける対策を取ってます」という美術館側のアピールであるとも言えます)。日本人は行動パターンとしてあまり他人と気軽に話さないイメージがあります。ただでさえ日本の美術館は静寂を要求される場所。声をかける行為はとても目立ちます。よって気軽に声をかけただけのつもりでも、かけられた側が「注意された!」、「怒られた!」と、子供連れであるがゆえの非難と過剰反応してしまい、トラブルになるケースも見受けられます。

美術館での嫌な思いは、その人の足を美術館から遠ざけます。

私はそのような事例を聞くととても悲しい気持ちになります。なぜなら「アートは育児を救う」でも書きましたが、私は育児において美術館に数多く救われてきたからです。育児で苦しいと思った時に美術館に行くことで気持ちを切り替えたり、新しい発見をしたり、新しい交流が生まれたりなど素晴らしい体験がたくさんできました。だから、全部鑑賞しなくてもいいから訪れた人全員に笑顔で帰ってほしい。お互いの笑顔を見ながら「楽しかったね」、「また行こうね」と話してほしい。だって私と子供はそうだったから。

ただ、今ならわかります。行きたいのに行けない人も多いということを。

4:「簡単に美術館に行けない」ということ

クアラルンプールはシンガポールとも、東京とも違いました。
クアラルンプールは、シンガポールとも東京とも違いました。

私の「美術館に気軽に親子で行ってみよう」というブログ記事やコラムに関して、「誰もがあなたみたいに簡単に美術館に行けるわけではないってわかってる?」という趣旨のコメントをよく頂きました。東京、シンガポールに住んでいた私は「えーでも行こうと思えば行けるもんでしょ」と思っていました。

現在私はマレーシアのクアラルンプール郊外に住んでいます。クアラルンプール中心地からはGrab(配車アプリで呼ぶ乗り合いタクシーサービス)で30分近くかかります。クアラルンプールにもアートスポットはいくつもありますが、移動にかかる時間を考えると、気軽なお出かけというよりは結構なイベントになってきました。突然の悪天候に遭遇したら、通常10分で行ける道が渋滞で30分かかることもあります。子供も中学生になり、忙しくなってきました。距離と交通状況の変化から、子供の下校後「ちょっと出かけよう」とは簡単に言えなくなりました。

私はやっとわかりました。

「美術館に簡単に行けないってこういうことか!」

私の場合は主に「距離」が妨げとなっていますが、他にも色々な理由があると思われます。
複数のお子さんを連れていく、遠方から出向く。行きたいと思っていた日に子供が熱を出す。子供の学校の用事で行けない。。美術館に行きたいと思ってもそれを阻む物理的、距離的、環境的な制約。そうか、そんな簡単に美術館って行けないものなんだ。では、簡単に行けない側になって改めて感じることはなんでしょうか。やっぱり「アートは育児を救えない」ということでしょうか。

5:今までとの「違い」を受け入れることから産まれる「救い」

Wei-Ling Contemporary(クアラルンプール)は大きなショッピングモールの最上階にあります。基本電車移動が出来ないので鑑賞はちょっと大変。
クアラルンプールのギャラリー「Wei-Ling Contemporary」は大きなショッピングモールの最上階にあります。基本電車移動が出来ないので鑑賞はちょっと大変。

簡単に美術の場にいけなくなった私は、今までと違うスタイルでアートと向き合うようになっています。インターネットでの情報収集、書籍などが私の身近なアートになりました。インターネットには世界のあらゆる場所の美術に関する情報があふれています。もちろん私が拠点とする東南アジアの情報も沢山あります。

実際の体験を通して学ぶという点にこだわるのであれば、東南アジアの環境にはまだまだハンデがあります。例えば、日本や韓国、香港では巡回する有名美術展の展覧会、スポーツの国際大会、科学技術の発表会などが、東南アジアの地域ではまだあまり開催されていません。そのため著名な美術作品や高いレベルの様々な技術を体感する機会が得難いのが現状です。でも、今はインターネットがあります。学ぶ意欲に溢れた東南アジアの若者たちは、インターネットに配信される動画などを通して、自分が興味のある分野の「体験」を手に入れます。そしてそこで得た知識、技術を元にして自分の可能性を高めます。その次のステップとして、そうした可能性を高めた自分の姿をインターネットにUPして、今度は原石として発見してもらう側を目指すのです。

だからこそインターネットでの情報収集、学びに対する姿勢が重要なのです。「体験しなきゃ」という考え方にとらわれず目の前の最新情報を純粋に受け入れる。そこには情報と(インターネットを通じての)体感があふれています。

「実際に見に行く」ことは何物にも変えがたい体験ではありますが、インターネットを通じての体験の面白さに気づくとなかなか楽しいものです。「え、なんか違うんじゃない?」って最初は戸惑いますが、アートというのは「違っているから面白い」んです。だったらこの違いを楽しまなきゃ損ですよね。

美術館に行けなくてもアートがインターネットを通じて近づいてくる時代になりました。せっかくだからこの(今までと違った)出会いを楽しみましょう。この方法でなきゃと思うその思い込みを捨てましょう。以前、「アートは自由だ。だから感じ方も自由だ」と「アートは育児を救う」で書きました。あれから2年。アートとの触れ合い方もより自由になってきています。「触れ合い方」の自由を受け入れると、アートはもっと自由に育児を救ってくれる時代になってきたのではないでしょうか。

インターネットの情報から「アートに育児を救ってもらう」のは別に美術館や展覧会のサイトだけではありません。個人のブログやtwitter、Instagramなどの情報発信だって立派な情報です。「アートを楽しんだ記録」のアーカイブはとても重要です。なぜなら次にそのアートに触れたい人にとって、その情報はとても有益なものだからです。「自分はこんな風に美術館を楽しんだ」というアーカイブには別の意味もあると思っています。その情報がインターネットでアーカイブされることで「アートの救い」の紡ぎが始まるからです。
 
育児中の誰かが夜中に授乳中に、私の珍道中のアーカイブを見てクスって笑ってくれたら本当に嬉しい。そしてそのお母さんが子供が少し大きくなった時、別の人のブログで私が珍道中で取り上げたアートについて書いているのを見かけて、「ああ授乳中にこのアートを観た親子のブログ読んだなあ」と思い出して、子供に話してくれたらもっと嬉しい。そしてその話を聞いたお子さんが大きくなって自分で美術館に行った時、「ああこのアートって、僕が小さい時、お母さんがブログを見せながら説明してくれたやつだ!」と思い出したら素敵だと思いませんか?そしてそれが日本以外の美術館だったりして、その青年が異国からお母さんにメッセージ発信とかしてくれたらなんて素敵だろうって思うのです。

実際にこのお母さんは一度もそのアートを観ていないんです。でも観ていなくても、「アート」を媒介にした親子の思い出が紡がれ、遠く離れていても二人を結びつける。それこそ「アートが育児を救う」ことだと思うのです。

アートは今でも育児を救えているか。そう問いかけられたら答えは「Yes」だと思います。でも、ここでの「アート」は作品そのものだけでなく、インターネット上の情報や他の人がそのアートを楽しんだ体験も含んでいます。

作品だけでなく、作品鑑賞を楽しんだ体験が「アート」になり、誰かの育児の苦しみを救う時代がやってきました。
アートがより自由になったのだから、感じて行く私たちももっと自由になるべきです。

そう、「アートは育児を救う」を未来に紡いで行くために。