アートの小宇宙プラハ ― シュルレアリストの愛した「星の城」へ

アートの小宇宙プラハ ― シュルレアリストの愛した「星の城」へ

中欧の宝石とも呼ばれる美しきチェコの首都、プラハ。
カレル4世やルドルフ2世といった王たちのもとで文化の中心地として花開き、2度の大戦と共産主義政権の抑圧をくぐりぬけてきたこの街には、12世紀の教会から20世紀初頭のキュビスム、そしてソリッドな現代アートにいたるまで、あらゆる時代のアートがぎゅっと詰まった小宇宙がひろがっています。プラハで1年間日常生活を送った留学生の視点から、観光ガイドにはあんまり載らない、この街の等身大でアーティスティックな魅力をご紹介しましょう。

 

トラムの終着駅から

今回は16世紀に建てられ、20世紀のシュルレアリストを魅了した小さな「星の城」のお話です。 旧市街やヴァーツラフ広場といったプラハ有数の観光エリアをカバーする地下鉄A線は、おそらく観光客にとってもっともなじみ深い路線でしょう。それでも終点から2番めの小さな駅、ペトシニ(Petřiny)で降りる機会のある人はそう多くはないはずです。小ぎれいな新興団地や、共産主義時代の遺物のような学生寮が立ち並ぶプラハ6区のこのエリアは、観光地の喧騒がうそのように感じられる、閑静な住宅街です。 2014年秋、わたしは生まれて初めての海外留学のために、この地区の学生寮へと引っ越してきました。高校生の頃からチェコのアート、とくにシュルレアリスムに魅了されていたわたしにとって、プラハに長く滞在するのはまさに夢でした。浮かれた気分のまま荷ときもそこそこに、到着して次の日には寮の前からトラム18番に乗り、終着駅へと向かったのです。

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閑静なプラハ6区のトラム停留所、とお兄さん。

トラムの赤い車両がいくつも並ぶロータリーで降りて、少し歩くとうっそうとした森のひろがる公園が見えてきます。ベビーカーを押して散歩するお母さんや、ジョギングに余念のない若者たちをながめつつ木々の間を歩いてゆくと、まるでおとぎ話から抜け出してきたような、白壁の輝くちいさな建物があらわれます。

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まるで古い絵のよう。

あれがレトフラーデク・フヴィェズダ(letohrádek Hvězda)――「レトフラーデク」はチェコ語で貴族の夏の別荘を、「フヴィェズダ」は星を意味します。フランスの詩人アンドレ・ブルトンはこの場所を「ル・シャトー・エトワール(le château étoilé)」、星の城と呼びました。

シュルレアリスムとプラハ

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シュルレアリスムの開拓者、アンドレ・ブルトン。

 20世紀初頭、第一次世界大戦の傷跡生々しいヨーロッパでは、あたらしい芸術のかたちをもとめる運動が数多く立ち上がりました。パリでアンドレ・ブルトンやポール・エリュアールといった作家たちが興したシュルレアリスムもその一つです。理性と慣習に身をまかすことを拒み、ただどこまでも自由なこころのうごきを通じて日常生活や恋愛の経験を生き生きと捉え、斬新なスタイルの作品を数多く生み出しました。ぐにゃぐにゃの懐中時計でおなじみのサルヴァドール・ダリ(京都市美術館で展覧会が開催中ですね!)も、シュルレアリスムを代表する画家のひとりです。 1930年代に入ると、シュルレアリスムはまたたくまにヨーロッパのさまざまな地域へ広がり、それぞれの都市で独特の運動が繰り広げられました。プラハではカレル・タイゲやトワイヤンといった若い作家や画家たちが、ブルトンと交流を持ちながら新しいグループを結成しました。このグループは長いあいだ活動を続け、共産主義政権下で活動を禁止されながらもアンダーグラウンド・シーンの一部となり、日本でも人気の高い映像作家、ヤン・シュヴァンクマイエルを生むことになるのですが――この話はまた別の機会にゆずるとしましょう。 1935年、ブルトンは当時のパートナーだったジャクリーヌ・ランバと詩人エリュアールを連れてプラハを訪問しました。パリに住んでフランス語を話す詩人ブルトンにとって、まったく異質な言葉の世界を持つチェコ、そして中世の風景が色濃く残るプラハは、ちょっとエキゾチックで、とても神秘的な土地だったようです。この街は「ヨーロッパの魔術的首都」として詩人のこころに深くきざまれ、中でもレトフラーデク・フヴィェズダには特にインスピレーションをかき立てられていました。彼はたびたびこの城を詩的なモチーフとして使い、1936年にはマックス・エルンストの美しい版画を添えた「星の城」と題するエッセイも発表しています。

星の城のいま

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 この城はもともと16世紀に、当時のボヘミア王フェルディナンド1世によって建設されました。こんぺいとうみたいなこの星型には、占星術と結びついた神秘的な意味合いが込められています。現在はチェコの文学記念館になっており、文学や芸術に関するさまざまな催し物や展覧会が行われています。 わたしがおとずれた時に応対してくれた係員さんは、チェコ人のにこやかなおばあさまでした。日本人がとつぜんひとりでやって来たのに驚いたのでしょう、「どうしてここに来ようと思ったの?」と訊ねられました。ままならないチェコ語で「フランスの詩人がここについて書いていたのを読んだ!」となんとか伝えると、とてもうれしそうに「まあそうなの!」と言って、城の中をていねいに案内してくださいました。

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 大規模なリノベーションを経て現在の形でオープンしたのが2000年とのこと。繊細な装飾の施された天井がとても美しい室内です。ところどころに昔のままの壁がのこされていて、この建物の長い歴史を大切にするこころもうかがえます。
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このようにリノベーション前の壁も保存されています。描かれているのは馬と妖精でしょうか。

1階の常設展示では、この城の歴史が紹介されていました。そしてそのなかに、まるまる1枚アンドレ・ブルトンについて書かれたプレートもあるのです。

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タイトルは「賢者の石の城」。これはブルトンの本の一節から取られています――「深淵の斜面に、賢者の石で建てられた星の城が開いてくる。」(『狂気の愛』光文社古典新訳文庫、海老坂武訳、p. 195)

プレートには、ブルトンとこの場所の縁について、そしてこの詩人にとっての〈星〉のモチーフについて説明が書かれていました。彼がエッセイの挿画に使った絵葉書や、マックス・エルンストの版画も紹介されています。右上部分の写真がブルトン本人なのですが、プラハをおとずれた頃ではなく、年を取った後のいかめしいおじいさんの姿だったのが印象的でした。ちなみに右下の写真にうつった石は、現在もパリにあるブルトンのお墓に置いてあるもの。ちょうど亡くなる直前の1966年8月、彼がフランスのドルドーニュで偶然見つけた石の彫刻で、以来「プラハの星の城」に重ね合わせて大切にしていたといいます。 すっかりうれしくなって係員さんに「ブルトンのことが書いてありましたね」と言ったら、「でもあれだけしか書いてないのよ! せっかくなのにごめんなさいね」と答えられたのが、なんだかユーモラスでこころに残っています。 2階は特別展示のためのギャラリーになっており、ここでは主に現代の芸術家の展覧会が行われることが多いようです。このときはプラハのアートギャラリー、ガレリエ・プルブニー・パトロ(Galerie 1.Patro)が監修した現代作家の展覧会が行われていました。『幾何学との対話』というタイトルで、まさに幾何学的な建物の形と抽象作品がリンクして、シュルレアリスムともまた違った世界が繰り広げられていました。 481 479

ちなみに、ここでは毎年「チェコで最も美しい本」に選ばれた書籍の展示会も行われています。カラフルで凝りに凝った装丁の本がたのしめますので、特にチェコ絵本好きは必見です! 中世の王の別邸から、詩人の想像力の源泉、そして現代の文化の発信地として。この不思議な建物はながい歴史をへて、いまもなおひとびとの憩う場所として生き続けています。

 

レトフラーデク・フヴィェズダ(letohrádek Hvězda)へのアクセス:

地下鉄A線ペトシニ (Petřiny) 駅で下車。大通りを南西に向けて徒歩10分、もしくは駅前にある停留所から1番のトラムに乗り、次の駅シードリシュチェ・ペトシニ(Sídliště Petřiny)で下車。ウ・フヴィェズディ(U hvězdy)通りをさらに南西方向へ、突き当りを右に曲がると、レストランの向かい側に公園の入り口がある。森の中の道をまっすぐに進むと到着。 カフェも併設。イケメンと犬がいる(時期によるかも)。
開館時間は10時-18時、入場料は一般75コルナ。月曜定休。11月から3月までは冬季閉鎖期間。
https://goo.gl/maps/JfKEXmjjawx

 

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