賛否両論、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」展示中止に関するアンケート結果とご意見
8月3日、「あいちトリエンナーレ2019」で、「平和の少女像」や天皇と戦争など、近年公共の文化施設で展示不許可になった作品を理由とともに展示した「表現の不自由展・その後」が、政治家の介入や不特定多数の脅迫などにより展示中止になりました。
この事態の重要性を鑑みて「表現の不自由展・その後」の展示中止に関するアンケートを実施しました。
調査期間:2019年8月3日~8月6日
有効回答数:4,894
展示中止を評価する:1939
展示中止を評価しない:1672
どちらとも言えない:1283
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寄せられたご意見(抜粋)
■展示中止を評価する
◯妹尾泰隆
実際に現場で犯行が行われた際、ゲストに危害が及ぶ可能性は極めて高く、安全面から展示を中止するのは妥当であり、展示側の社会的責任を考えても評価できる。ただし、こうした展示は、そもそも誰かを怒らせるということを前提にして・あるいは意図の一部して行う、いわばアジテーションなのだから、圧力に屈したということ自体は評価できない。主催側としては何らかの形で継続するべき。
◯望月マリーノエル
表現の自由でもないし、芸術でもない。税金を使ったイベントなら、政治的メッセージは無くすべき。
◯怒れる日本人
あんなものが表現の自由で許されるなら、他者への誹謗中傷は何でも許されることになる。芸術でも何でもない、あんなものは単なる日本へのヘイトです。
◯小川信久
最高裁判例に、家永教科書裁判と言うのが有り、教科書の検閲に関する事件ですが、判決で、「一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲にあたらない」と判断されました。
これを類推すると、民間の展示場やホールを利用し、自己資金にて展示することも可能であれば、検閲には当たらないのではないでしょうか。
◯はせがわ
なんでも、かんでも自由!と、アナーキーなこといってるから京アニのようなことが起こる
◯西村美幸
この一連の騒動で日本の文化行政の在り方、日本人のアートとの向き合い方など、大切な問題がいくつか表面化したと思います。そういう理由から、例え展示中止になっても、今回の企画は有意義なものだと思っています。
◯カテーテル
開催停止に評価。人に不快感を与える事は芸術なんでしょうか?他国の要人の写真を燃やすような行為をその国でやるのが文化的なんでしょうか?韓国人の考える事は斜め上過ぎて驚きます。
◯渡邉覚文
あれは、日本と日本人に対するヘイトです。日本と日本人になら何をしても良い殺しても良いという考えです。これは、ナチスがユダヤ人に対して取った思考と一緒です。ナチズムを許すのですか?そんなの言論の自由なんかじゃありません。人類への冒涜行為です。謝って許される話ではありません!
■展示中止を評価しない
◯飯沢耕太郎
「考える」という選択を奪う展示中止はよくない。
◯吉野さつき
女性の尊厳、表現と言論の自由を踏みにじり、文化権も侵害する酷い検閲行為だと思う。展示中止によって「心を踏みにじられた」と思う日本人もいる。
◯Noboru Tsubaki
脅迫FAXが届いたという理由へのすりかえ
◯稲葉高志
これまで何らかの理由で展示されなかった作品を展示するという時点で、今回のこのような反応(脅迫やテロ予告など)は想定されたはずなので、事前にそれに対する対処計画があまりにも不十分だと思います。むしろ展示中止までが計画だったのかとも思えます。まさに「 表現の不自由 」を表現するために。
しかしそれではこれまでに何らかの理由で作品が展示されなかった展覧会と同じです。事前にセキュリティーのための予算や計画を立てておいて、問題が起きた際にはすぐにセキュリティーレベルを上げるなどの対処を準備しておくべきだったと思います。
以下はあくまでも一作家の提案としてのアイデアですが、想定されるあらゆる領域のセキュリティーのレベルを上げた状態にして、あえてそれを可視化して、それすらを 「表現の不自由展・その後」 の作品にしてしまってもよかったのではないでしょうか。たとえば美術館内外に派手な監視ドローンを飛ばしまくる(様々なアーティストにデザインしてもらったドローンでもいいかもしれません。)入館時には空港などで使われているセキュリティーチェックをしてそのチェック音を様々な音響アーティストが加工したものを流す。インターネットを介したもの(脅迫やテロ予告やハッキングなど)にはそのIPアドレスを様々なフォントで順次展示(表示?)する。パフォーマーとして警備員を配置するなど。(この警備服も様々なデザイナーがデザインしてもいいと思います。)
◯長坂陽子
アートと政治は三権分立のように独立したものであるべき。今回の一件は馴れ合いの一歩を作ってしまったことになると思う。
◯匿名
この展示を評価する人は少数かもしれない。しかし、その少数者を圧殺する多数者に危惧するが、ひょっとしたらそれは「多数」ではないかもしれない。また、これは美術の展覧会であり、基本的には「美術の制度」の中での出来事(検閲などの問題)として展示されているのであるから、まずはそこから批評を始めるべきではないだろうか。もちろん派生する社会的インパクトはあるが、「表現」としてどうなのか、という点をすっ飛ばすのはよくないと思う。
◯藤浩志
あらゆる表現を平等に受け入れ様々な感情を体験できる環境が文化施設のミッションだと思います。問題を隠蔽するのではなく、露出させ活発にするとてもいい機会を奪うのがこれまでの政治だったことを確信するできごとだとおもいます。しかもキュレーションが入っている展覧会においてのこれについて論外。熱意を持っていい環境を作ろうとしている専門家を軽視しすぎなのがまた問題。
◯杉浦幹男
実行委員会の決断はいたしかたないと考えます。しかし、こうした稚拙なことが起こりうるわが国の政治に対しては評価しないという回答です。
◯古後奈緒子
芸術関連の事業を行ってきた者として、他人事ではありません。
争点は多々ありますが、中止の判断に至る一連の出来事は、芸術が獲得してきた個の権利の危機と受けとめています。個がテロというかたちでしか表れ得ない社会につながってゆくのではと、危惧します。
中止の判断についてですが、アクティビスト、ジャーナリストは組織に属さないからこその弱さがあると思います。でも弱さを使って「エゴ」を貫くことも、地域とのしがらみのない外から芸術監督が招かれることの意義ではないかと思うのです。
実際問題として、現場の安全をその道のプロにしっかり任せ、「表現の不自由展」主催者と話し合って枠組みを練り直し、論点を動かし続けて、再開の可能性を探れないものでしょうか。
政治家の公式発言に顕著なように、抗議の多くは、作品の意味が置かれる枠組みによって書き換えられてゆくという物事の道理を度外視しています。少女像が「退廃芸術展」に出展されても抗議しかねない。外交やビジネスも絡んでしまった少女像の意味を解きほぐし、未来に向けて書き換える可能性が、芸術の場にはあるのではないでしょうか。
◯北林 功
展覧会の主旨がそもそも「不自由」があったことで展示がされなかったものを集めているということであるため、今回の中止は残念。
そもそも現代アート自体が現代における様々な社会問題に対する視点を提供したり、社会問題自体への気づきを促進したりする要素や政治に対する批判性を持っているものであるため、今回のように議論が巻き起こっているということ自体が正常であるとも言える。政治家が圧力をかけ、自分たちに都合の悪いもの、あるいはアート作品に対する「批判」「祇園」が巻き起こったことを事由に展示がなくなるということであれば、今後、アート作品が展示されず、ますます人間の思考は単純化され、全体社会に陥っていき、日本が将来つまらない国になっていくということをとても懸念している。
◯境 真良
「展示中止すべきではなかった」という意味で選択肢を選びました。抗議に屈した津田氏への批判も部分的にはあろうかと思います(自身が表現規制的であったのに、など)が、私はそれよりも、展示に対する批判ではなく展示することそのものを批判し、さらに強迫等ともとれるようなやり方で抗議した人々に最大限の批判をしたいと思います。ネットの発達などで今や普通の人が声を上げられるようになった時代、だからこそ普通の人が表現そのものに対する対峙の仕方を学び、進化しなくてはならない時代であるはずなのに、かかる事態が発生したことは極めて残念です。
■どちらともいえない
◯神戸繁
政治が芸術に介入してくる時代はろくな時代だとはいえません。そのような意味では、展示中止はとても残念なことです。一部伝わってくる出品作品に対する抗議の内容などには、理解できるものもあります。価値観が多様であれば、議論が生まれその中で方向性が見出されたとすれば、納得いきます。評価も出来ます。しかし、どうやらそのような平和的な決定では無い様に感じます。展示中止も仕方がないのかといった部分です。
この企画がこのような結果を招くであったであろうことは容易に予測できた事だと思います。企画側にそれだけの決意があったのか、また周到な準備があったのかについてはわたしには計り知れません。この結果も含めての企画であったとすれば、(世間に一石を投じることのみが目的であったとすれば)成功なのかもしれません。何れにしても残念です。
◯市村貴絵
警察の徹底した捜査と警備協力が約束されないとしたら、展示中止はやむを得ない。
◯のさもと
まずなぜ脅迫や抗議の電話やメールをするのか。そういったことをする方には「なぜ、そうした怒りや憤りが湧き上がってくるのか?」一度自身に問いかけてみてほしい。それぐらい自省的な態度があってこそ、芸術祭に申し入れをするに足る意見になるはずだ。
不必要な誹謗中傷から運営に関わるスタッフを守るため、運営上層部がやむを得ない判断を早期にしたことは「評価できる」。しかし、出展されていたアート作品は、我々鑑賞者に人間として自省的な態度を生み出してくれていたのであろうと考えると、展示中止によって鑑賞者が作品とのコミュニケーションを断絶させられてしまったとも言える。そう考えると、展示中止という判断は鑑賞者の作品との出会いを奪っており「評価はできない」と言わざるを得ないだろう。そもそも展示中止云々というより、世論がアート作品を「表現の自由」という観点からしかアートを捉えられていないことが貧相。鑑賞者になり得た私たち(私は展示を見ることができなかった)、つまり「まだ見ぬ鑑賞者」にとっては、大きな機会損失だ。
(そもそもこの選択肢が答えにくい。「どう評価するか?」と問うているのに、「評価する/しない/どちらとも言えない」では今回の問題の内容を考えると選びようがない。そのため「どちらとも言えない」とした。例えば、「納得いく/納得いかない」の選択肢のほうが、本調査者にとって的を得たものになるのではないだろうか。)
◯すけっち
展示作品に対して嫌悪を感じたことも感受性のひとつ。受け入れざるものは排除ということではなく、その嫌悪感について考えを馳せてほしい。何が正しくて何が間違っているかは、人それぞれであり、他人から押し付けられるものではない。「意見」と「脅迫」は違うもの。言いたいことを何でも言えることは良いことでもあるが、人に恐怖を与えるのは、根本的に間違っていると気が付いてほしい。
◯高橋徹
・この「展示の中止に対する評価」の議論そのものが、世界や時代に対する認識を大いにミスリードし、表現の自由という極めて重要な基本的人権に対する社会からの疑問の目を巻き起こしている。そのことについて、特にこの展示を自らのエゴのために配慮に欠けるやり方で開催してしまった津田氏に対して、強い怒りを感じている。
・津田氏はこの今の時代を読み間違っていると思う。「情を飼いならす」というテーマを掲げて、敢えて慰安婦像を取り上げた結果としてのこの騒動。政治やマスコミや各種団体が生身の感情をぶつけあう状況を未然に防ぐのが「飼いならす」という言葉の意味のはず。にも関わらず、「情を飼いならすのは、それも情だ」と津田氏と述べて、この結末。表現の自由という極めて重大なテーマを扱っているにも関わらず、その自覚や対策が不用意だったとしか言いようがないように感じる。
・政治的プロパガンダに塗れた少女像を純粋なアート作品としてみてもらうためには、よほどの中立的立場に立ったキュレーションが必要だ。芸術作品が、いかに情動を刺激するためのプロパガンダの道具としても使われうるのかという視点も合わせて展示すれば、ここまで保守派の命がけの反発も生まなかったはず。むしろ、保守派の反発もアートとしてまとめるくらいの気概がなければ、アートディレクターとしてもジャーナリストとしても二流どころが三流の下の下だ。
・「表現の自由」そのものを主題とした展示でありながら左翼的な表現だけに偏った展示やキュレーションをしてしまうと、それに対する反動・反発が巻き起こるのがこの時代。慰安婦像に対する反動に終わればまだ良くて、「表現の自由」で理論武装したヘイトスクラムのような展示や活動が行われたりしてしまう可能性が高い。ナショナリズムに関する不穏な対立のエスカレーションを避けるためにも、「表現の(不)自由」を冠する展示をせっかく行うのであれば、中立性や客観性に基づく議論や姿勢を十二分に行った上でそれを示すべきであった。
・表現の自由は、人間の精神や良心の自由を保障するものであり、民主主義を支える非常に重要な概念。リベラルにとって表現の自由は武器であるとともに守るべきもの。それを、識者ともいうべき立場のリベラルが、不用意に表現の自由にフリーライドして、表現の自由そのものの存続に傷をつける。津田氏はジャーナリストとしてのエゴがあったと言っているが、その通りだと思う。闘うべきところではなく、ジャーナリストとしてのエゴのために表現の自由を弄ぶ行為は許せない。韓国で靖国神社を顕彰するような写真展をやることを考えれば、政治的なプロパガンダを含むような展示にどれだけの配慮が必要かわかるはず。つまり、津田氏は日本に甘えて反権力を気取ってるだけで、命がけでアート、そしてジャーナリズムも行う感覚が全然足りてない。それが腹が立つ。
・私は、民主主義をいかに守り、ナショナリズムの台頭をいかに防ぐかが、この時代の重要な視点だと感じている。そんな中で、韓国ナショナリズムのプロパガンダに用いられている作品を偏った文脈で不用意に展示し、国内のナショナリズムを刺激して増長させる行為は許せない。左翼はロジックを強化せよ。本当にナショナリズムに正統性を与えるのを防ぎたいのであれば、ロジックを組み立てられなくて情に訴えるしかできなくなった左翼は黙っててほしい。
・「表現の自由に限界はあるけど、慰安婦の展示はそれに当たらないし、それを止めるのは検閲なので許せない」という、津田氏を擁護する紋切型の批評も、左翼の思考停止を表すものなのでやめてほしい。この変化の激しい世の中で、テストの模範解答がそのまま通じると表明すること自体が、自分の頭で今の社会の問題の本質を考え続けていないことの証拠。目の前の問題解決のために、先人の勝ち取った人権にフリーライドしているだけで、時代に合わせた論理的なメンテナンスを行っていない。そのため、人権の価値は消耗し、右翼の論理的な攻撃の前に陳腐化し、理不尽を嫌う世間の若者が左翼よりも右翼を支持する社会を作っている。
・世界の様々なところで見ることのできる少女像の展示に対してアートディレクションおよびジャーナリストとしての配慮ができなかったために、他の作品の展示の機会も奪われたとすれば、この責任はかれが思っている以上に重大すぎる。
・反省だけでは足りない。ジャーナリストとして0からやり直してほしいし、今後、中途半端な視座や覚悟でアートに手を出さないでほしい。
◯明菜(美術ブロガー・アートの定理)
どちらとも言えない、に入れさせていただきました。
あいトリ全体が安全に楽しめるイベントになるため、中止は仕方無かったのでは、と考えます。
ですが、中止を評価する・しないという観点ではなく、脅迫に対しての怒りを覚えます。
■その他、Twitter、Facebook より
◯chem
展示内容の是非に関わらず、暴力(脅迫)に屈した形になったことが何よりも残念です。今後脅迫者に対する法的措置等、不法行為に対しては毅然とした対応を実行委員会および愛知県がとることを希望します。
◯彦坂尚嘉
【あいちトリエンナーレの芸術監督としては失格】
私は、もう、これ以上深入りはしたくないのですが、この動画を見つけました。
あいちトリエンナーレで放映されたという、映像です。
昭和天皇の御真影を焼いたうえ、踏みつけるというものです。
これを津田大介氏が展示した『表現の不自由展』の作品でるというと、確信犯のレベルが違がいます。
現在の法律では、不敬罪は無く成っているので、直接に犯罪ではありませんが、まあ、津田大介氏が目指している「表現の自由」がめざしているものの、一つの極点が見えます。
つまり、《不敬罪》というのは、国王や皇帝などの君主・王族・皇族の一族と宗教・聖地・墳墓等に対し、名誉や尊厳を害するなど、不敬とされた行為の実行により成立する犯罪です。
《表現の自由》というものが、めざすのが、「不敬罪」的なものであるとすると、それを津田大介氏が愛知トリエンナーレに持ち込むというのは、明らかに日本社会の公共的なモラルと越えています。
【芸術の自由】というものを、あまりにもオブジェ化して、硬直に捉えている、キッチュな芸術観です。
つまり『表現の不自由展』の指し示すものが、《日本社会の公共的なモラル》の侵犯をめざしていることになります。
津田大介氏は、あいちトリエンナーレの芸術監督としては、失格です。
◯潤雅 ゆな
作品を守るために、展示を中止するのではなく、そのような悪質な人々を重く処罰すべきではなかったでしょうか?
強迫行為をした人を見つけて処罰することが、テクニカルに、物理的に、法律的に、難しいんでしょうか?
彼らの妨害、脅迫によって、多くの人々の表現の自由、見る権利、感じる機会が奪われたと思います。
悪質なヘイト、差別の行動をした方が問題であり、作品には罪なんてないと思います。
+)津田さんも悪くない! 津田さんのせいじゃない!
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