「ヨコハマトリエンナーレ2014」 CURATORS TV

ARTLOGUE 編集部

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「ヨコハマトリエンナーレ2014」のギャラリートーク

スピーカー

森村泰昌

会場

横浜美術館、新港ピア(新港ふ頭展示施設)

会期

2014年8月1日~11月3日

展示について

ヨコハマトリエンナーレ2014 「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」 ヨコハマトリエンナーレ2014 アーティスティック・ディレクター 森村泰昌 忘却の海へと向かう冒険の旅 ヨコハマトリエンナーレ2014がめざすのは 芸術的冒険の可能性を信じるすべての人々 そして、大胆な世界認識を持ちたいと望む すべての人々と共に 「芸術」という名の舟に乗り込み 「忘却」という名の大海へと 冒険の旅に出ることである 「華氏451の芸術」というタイトルは、言うまでもなく、レイ・ブラッドベリ作のSF小説『華氏451度』に由来している。いわゆる焚書がテーマの小説で、本を読むことも持つことも禁じられた近未来社会が舞台となっている。 1953年作とは思えないくらい、現代社会を予見していて見事だが、それ以上に興味深いのは、これが「忘却」の重みについてあらためて考えさせられる小説だという点である。 物語の後半、「本になる人々」の集団というものが登場する。一人ひとりが一冊ずつ本を選び、それをまるごと記憶しようとする。つまり焚書へのレジスタンス(抵抗)として、本という物質を記憶という非物質に置き換え、本の精神のみを隠し持とうと試みる。 「本になる人々」は本を禁止する社会からの亡命者達であり、また上述のように本を非物質な記憶に置き換えようとしているため、その存在と行為の両側面において、現実社会の表舞台には決して現れることのない、不在の人々となる(=生きている痕跡をこの世から消滅させた「忘却の人々」たらざるをえなくなる)。ところがこの「忘却の人々」にこそ、膨大な本の記憶がたまり込んでいるというのが、ブラッドベリの小説がもたらす、「忘却」に関する重い教訓なのである。 「忘却」とは、記憶されざる記憶がたまりこんだ、ブラックホールとしての記憶のことである。 人類はこれまで想像を絶する量の情報(や「もの」)を廃棄(=忘却)し続けてきた。記憶化されないまま廃棄された情報(や「もの」)は、それよりもさらに膨大だろう。死者や、これから生まれる「未来の記憶」とでもいうべき未生の命も、記憶されざる記憶としての「忘却」かもしれない。検閲や弾圧によって消滅させられたり、表舞台に出られなくなったものもあるだろう。 語らないもの、語ってはならないもの、語りえぬもの。見たくないもの、見てはならないもの、見えにくいもの。とるにたらないもの、役に立たぬもの。それら記憶世界にカウントされる値打ちもないと判断された無数の記憶されざる記憶達にも思いを馳せてみよう。そしてこんなふうに痛感してみよう。 世界(宇宙)は、そのほとんどが「忘却」のブラックホール(あるいは、広大で奥深い海)によって満たされている。それに比べれば、記憶世界など「忘却の海」に浮かぶちっぽけな島にすぎない。 「記憶」から「忘却」へと、世界認識のための軸足を、真逆に置き換えてみる。すると、社会や暮らしや人生の諸相が今までとはガラリと違って見えてくる。その手応えや驚きや切実感が表現となる。そういう芸術的態度が確かにある。それらを多くの人々とわかちあうこと。ヨコハマトリエンナーレ2014における「忘却」というテーマは、そういったものである。忘れられた歴史(美術史)の掘り起こしや懐古趣味には無関係でありたいと願っている。 展覧会概要 「忘却巡り」の旅に出る 私達はなにかたいせつな忘れ物をしていないだろうか。気がつかないまま先に進んでしまったり、ホントは気がついているのに、知らないふりをして立ち去ったり。 そういう「忘却」の領域に敏感に反応する芸術表現がある。表現者がいる。 ヨコハマトリエンナーレ2014 は、人生のうっかりした忘れ物、人類の恒常的な忘れ物、現代という時代の特殊な忘れ物などを憶い出すための、いわば「忘却巡り」の旅である。その旅程は、おおよそ次のような流れとなる。 沈黙とささやきの旅 黙っているものは情報化されずに忘れられていく。ささやきは耳をそばだてないと聞こえない。これらかすかな情報のなかにある、じつに豊かな広がりを感じとる旅。 華氏451の旅 人類の歴史に繰り返し登場する、思想統制という強制的になにものかが抹殺される悲劇。これを冷静に見つめなおす旅。 無用への旅 役に立たなければ廃棄され忘れられる。それでも光り輝く手だてがある。その手だてが芸術である。無用への旅の途上で、私達はほんとうの芸術に出会えるはずである。 恐るべき子供達に会いに行く旅 人間はおとなになることと引きかえに、幼年期の記憶を捨てなければならない。ところが、この幼年期の記憶に深くとらわれて、前に進めなくなってしまった人々がいる。その典型が芸術家である。芸術家とは、おとなになりそこねた子供なのである。おとなになって忘れてしまった、私達人間の生まれいずる源へと帰郷する旅。 忘却の海に漂流する すべてを見終わった旅人(観客)が、最後に目にするのは、茫漠たる忘却の海である。それは記憶や情報がおよびもつかない、広大な世界である。旅人はこの忘却の海へと漂流する。 それぞれの到達点を探し出す、それぞれの旅がここから始まる。 語らぬこと、語ってはならぬこと、語りえぬこと。見えぬもの、見てはならぬとされるもの。とるに足らぬ出来事、なんの役にも立たぬ行為。 これら記憶世界にカウントされる値打ちもないと判断された無数の記憶されざる記憶達に目を向ける旅。私達のまなざす力を育む旅。 ヨコハマトリエンナーレ2014 が目指すのは、そんな心の旅物語である。

アーティストについて

イライアス・ハンセン Elias HANSEN 出生地 アメリカ 生年 1979年 ガラス工芸の盛んなアメリカ北西部のタコマに生まれ、ロサンゼルスの専門学校で吹きガラスの技術を習得した後、作家活動を開始。フラスコなど実験器具のような手製のガラスの器に、木や金属、ビニールなど異素材の既製品を組み合わせたオブジェは、繊細かつ素朴、理知的だが即興的でもある。 ギムホンソック Gimhongsok 出生地 韓国 生年 1964年 現代社会や人々の意識に眼差しを向け、溢れるユーモアと鋭い批判性によって問いかける作品を発表。代表的な作品の1つである《LOVE》は、ロバート・インディアナの彫刻《LOVE》を引用し歪めることで、愛されるべきモニュメントであるパブリックアートの位置づけを独自のアイロニーで揺るがす。 ヴィム・デルボア Wim DELVOYE 出生地 ベルギー 生年 1965年 カトリック信仰の厚い西フランドルで生まれ育ったデルボアは、様々な象徴を用いて装飾性の高い彫刻を手がける。バロックやゴシックといった古典的な芸術様式に倣う一方で、ブランドロゴや排泄物等、消費社会のシンボルをもモティーフにして、美と醜、性と生、伝統と現代を融合した挑発的な作品を発表し続けている。 キム・ヨンイク KIM Yongik 出生地 韓国 生年 1947年 単色絵画のような表情を持つ作品は、ドットをはじめ幾何学的な形象を画面に描きながら、描いては消去して手を入れ続け、さらに自身のつぶやきともとれるテキストを書き込んだ、完結しない身体的表現の集約といえる。韓国民衆美術のスピリットとミニマルな美学を備え、日常と美術表現を融合する孤高の作家。 土田ヒロミ TSUCHIDA Hiromi 出生地 日本 生年 1939年 1960年代後半より写真家として活動。本展では、ライフワークというべき「ヒロシマ」をめぐる3つのシリーズ(『原爆の子』のその後を追った「ヒロシマ1945-1979 / 2005」、広島市内を40年にわたり定点観測した「ヒロシマ・モニュメント」、広島平和記念資料館の収蔵資料を写した「ヒロシマ・コレクション」)を紹介する。 マイケル・ランディ Michael LANDY 出生地 イギリス 生年 1963年 1988年自主企画展「Freeze」に参加、YBAs(ヤング・ブリティッシュ・アーティスツ)の代表的一員として知られる。300㎥の大きさに及ぶ美術のためのゴミ箱《アート・ビン》ヨコトリ2014版がエントランスホールに登場し、創作活動の裏に秘められている失敗の歴史を視覚化する。 木村浩 KIMURA Hiroshi 出生地 日本 生年 1952年 1970年代後半より、写真、既成のフォントを忠実に再現して画面上に様々な言葉を描いた絵画や版画を発表。本展では、1983年に椿昇・中谷昭男・山本浩二との4人展で発表した4枚組の絵画《言葉》を紹介する。そこには、作家が創作過程で感じる心の流れや、外界/鑑賞者に向ける思いを示す、4つのフレーズが描かれている。 イザ・ゲンツケン Isa GENZKEN 出生地 ドイツ 生年 1948年 ハンブルク芸術大学、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学ぶ。在学中に床置きの抽象彫刻「楕円」でデビュー。以後、ドイツを代表する彫刻家として一線で活躍を続ける。今回紹介するラジオを模したコンクリート彫刻は1982年に始めたシリーズの一点。工業製品の形態を賛美しつつ、建築的構造体として独自の存在感を放つ。 釜ヶ崎芸術大学 Kama Gei 2012年、大阪市で開校。日雇い労働者の町としての歴史をもち、今も多くの元日雇いの高齢者が暮らす大阪市西成区の釜ヶ崎と呼ばれる地域を拠点に、あらゆる人を対象として哲学、書道、詩、芸術、天文学等の多彩なテーマによる講義やワークショップを行っている。 ドラ・ガルシア Dora GARCÍA 出生地 スペイン 生年 1965年 サラマンカ大学とアムステルダム王立美術館で美術を学ぶ。映像、インスタレーション、パフォーマンス作品で、鑑賞者・作品・空間の関係を探る。小説『華氏451度』を鏡文字で“複製”した本展出品作でも見られるように、テキスト(文字)も三者をつなぐ重要な要素。2011年ヴェネチア・ビエンナーレのスペイン代表作家。 エドワード&ナンシー・キーンホルツ Edward & Nancy Reddin KIENHOLZ 出生地 アメリカ 生年 1927年 (1994年没)/1943年 エドワード・キーンホルツは、精神病院の職員や中古車販売員等多様な職に就いた後、1952年にロサンゼルスに移住。画廊経営を経て創作を始める。現代社会のタブーに触れつつ問題提起をする作品は、センセーショナルながら深い洞察に裏付けられたもの。1972年以降は、ナンシー・レディンとの共同制作で作品を発表した。 マイケル・ラコウィッツ Michael RAKOWITZ 出生地 アメリカ 生年 1973年 社会的弱者の状況や戦争による文化の破壊に目を向けるプロジェクトを数多く行う。《どんな塵が立ち上がるだろう?》では、タリバンが石仏を破壊したバーミヤンの石を用い、1941年英軍によって爆撃されたドイツ・カッセルの図書館の本の複製を作った。喪失の記憶を共有する人々とともに、美術表現を通じて再生を試みる。 Moe Nai Ko To Ba 出生地 生年 レイ・ブラッドベリの小説『華氏451度』へのオマージュとして特別に作られる“世界でただ一冊の本”。スターリン政権下に口伝で残されたアンナ・アフマートヴァの詩など7本のテキスト、ナチスの爆撃を避けて空っぽになったエルミタージュ美術館を描いた素描、志賀理江子の写真等を収録。会場で自由に閲覧できる。 装幀:渡辺和雄、製本:大家利夫、収録:志賀理江子ほか 和田昌宏 WADA Masahiro 出生地 日本 生年 1977年 日常で出会う一見相互関係が見いだせないような出来事を拾い上げ、そこに潜む事実を丹念に洗い出し、作品化している。本展では、自身の家族をめぐるいくつかのエピソードを映像とオブジェでつなぐ新作のインスタレーションを発表する。 サイモン・スターリング Simon STARLING 出生地 イギリス 生年 1967年 歴史的なエピソードの中で忘れられた人々の繋がり、異文化の邂逅や衝突から物事の変化に光を当てる。今回の新作は、アイルランドの詩人W.B.イェーツが日本の能に触発されて書いた『鷹の井戸』の1916年初演当時の写真から、面や衣装を職人たちと再現し、想像力と翻訳、時に誤解も含めた東西文化の交錯を浮かび上がらせる。 毛利悠子 MOHRI Yuko 出生地 日本 生年 1980年 古い傘や楽器などの古道具と機械部品を組み合わせて、ささやかな音やユーモラスな動きを伴うインスタレーションを発表。本展では、1950年代にアメリカから日本に渡り、2012年に死去した音楽家が遺した自作楽器をモティーフに、時とともに奏でる音が変化する自動演奏装置として再生させる。 吉村益信 YOSHIMURA Masunobu 出生地 日本 生年 1932年 (2011年没) 1960年に「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。60年代後半には金属製のメビウスの輪に電球を走らせた《反物質;ライト・オン・メビウス》等、テクノロジーに関心を寄せた作品が評価され大阪万博へ参加。本展では、万博のせんい館のために制作した《大ガラス》や、その直後に制作した《豚;pig' Lib;》等を展示予定。 Temporary Foundation 私たちは話すことを視ず、視ることについて話さない。《法と星座・Turn Coat / Turn Court》は、林剛+中塚裕子が1983年から1985年に「京都アンデパンダン展」で発表した「Court」シリーズにおける「視ること・話すこと」の位相を変え「身体・領土・健康・安全」へと再配置する試みである。 松井智惠 MATSUI Chie 出生地 日本 生年 1960年 自身の身体を通して自伝的・触覚的な感覚を喚起するパフォーマンスや映像作品、インスタレーションを発表。 2回目の参加となる本展では、2011年より毎日1枚ずつ様々な画材で制作され、ネット上で《一枚さん》として更新される絵を発表。会期中、作品が増え続けるワーク・イン・プログレス型の展示となる。 坂上チユキ SAKAGAMI Chiyuki 出生地 生年 主に水彩やインクを用いて、微生物を思わせる有機的な形象が連なる画面を構成する。時には肉眼では捉えられない程の緻密で微細な描写で、さまざまな物語を封印する。ここ数年「博物誌」、「鳥の写本」と題するシリーズを連続して発表。古代の生物や鳥類、文学や伝承を取り入れながら神話的世界を展開する。 アリーナ・シャポツニコフ Alina SZAPOCZNIKOW 出生地 ポーランド 生年 1926年 (1973年没) ユダヤ人家庭に生まれ強制収容所に送られるも、医師の母を手伝い虐殺を免れる。戦後プラハで彫刻を学んだ後、パリの美術学校に通うが、ポーランド政府に召喚されて帰国。母国で作品が注目され始め、1963年以降はパリを拠点に活動した。長年病に苦しみつつ早逝するまで、自身の肉体をモティーフに作品を生み出し続けた。 グレゴール・シュナイダー Gregor SCHNEIDER 出生地 ドイツ 生年 1969年 16歳の時に地元のギャラリーで初個展を開催。同年より、壁の前に壁を建て、部屋の中に部屋を設けて自宅を改造する作品《家 u r》に着手。同作はその後現在に至るまで(そしておそらくは生涯)続けられる作家の代表作である。本展では、新作となる日本初の本格的なインスタレーションを発表予定。 やなぎみわ YANAGI Miwa 出生地 日本 生年 1967年 CGや特殊メイクを駆使した写真によりジェンダー、若さと老いといった女性を取り巻く諸問題への洞察を試みる。2001年の横浜トリエンナーレ、2009年のヴェネチア・ビエンナーレ(日本館代表)に参加。2010年より演劇にも取り組み、本展では新作演劇『日輪の翼』(原作:中上健次)のための移動舞台車を発表する。 大竹伸朗 OHTAKE Shinro 出生地 日本 生年 1955年 武蔵野美術大学入学後、一週間で休学するものの、北海道やイギリスでの制作を経て復学。1982年には初個展を開催。以降、絵画、映像、音楽など幅広い分野での表現を自在に組み合わせた作品を手がける。2012年のドクメンタ13や昨年のヴェネチア・ビエンナーレにも参加し、精力的な活動を続ける。本展では新港ピアで新作を発表する。 ヤン・ヴォー Danh VO 出生地 ベトナム 生年 1975年 1979年、一家でベトナムを離れ、デンマークに移住。コペンハーゲンの王立美術学校とフランクフルトのシュテーデル美術学校で学ぶ。自身の生い立ち=個人史と世界の史実を併置させたコンセプチュアルな作品で知られる。代表作「我ら人民は」は、自由の女神像を原寸大で型取り、各パーツをそのまま見せるシリーズ作品である。 葛西絵里香 KASAI Erika 出生地 日本 生年 1982年 女子美術大学短期大学部専攻科を修了。「彫る」というシンプルな行為から生まれる表現の可能性を追求し、微細な線や網点を彫り込んだ版やハンコによる作品を制作している。今回は、メインビジュアルイメージ(デザイン:有山達也)の版画制作を担当。本展では、リノリウムを用いた版と版画からなる新作を発表予定。 笠原恵実子 KASAHARA Emiko 出生地 日本 生年 1963年 女性と社会との関係性を問う初期の彫刻作品から、近年は性別や宗教など社会を規定する制度について考察するインスタレーションを制作。本展では、10年間に渡り世界各地の教会の献金箱を撮影した写真と、そのフィールドリサーチを元に自ら創り出した彫刻作品で構成されるインスタレーション「オファリング」を展示。 日埜直彦 HINO Naohiko 出生地 日本 生年 1971年 日埜建築設計事務所を主宰し、現代美術ギャラリーの設計、展覧会の企画・監修など、都市や建築に関わる幅広い活動を展開。横浜トリエンナーレには第3回展と第4回展に参画し、日本郵船海岸通倉庫、赤レンガ倉庫、横浜美術館の空間構成を行なった。本展でも会場の空間構成の他、新港ピア内「Cafe Oblivion」を設計。

スピーカーについて

アーティスティックディレクター 森村泰昌(もりむら やすまさ) Artistic Director / MORIMURA Yasumasa 1951年、大阪市生まれ、同市在住。京都市立芸術大学美術学部卒業、専攻科修了。 1985 年、ゴッホの自画像に扮したセルフポートレイト写真を発表。以後、一貫して「自画像的作品」をテーマに、美術史上の名画や往年の映画女優、20 世紀の偉人たちなどに扮した写真や映像作品を制作している。 1988 年、第43 回ヴェネチア・ビエンナーレ、アペルトに出品したほか、国内外で多数の展覧会に出品している。 主な個展に、「美に至る病―女優になった私」(横浜美術館、1996 年)、「空装美術館―絵画になった私」(東京都現代美術館、他2 館、1998 年)、「私の中のフリーダ/森村泰昌のセルフポートレイト」(原美術館、2001年)、「美の教室、静聴せよ」(熊本市現代美術館、横浜美術館、2007年)、「Requiem for the XX Century. Twilight of the Turbulent Gods」(La Galleria di Piazza San Marco、ヴェネチア、他ニューヨーク、パリに巡回、2007、2008 年)、「なにものかへのレクイエム―戦場の頂上の芸術」(東京都写真美術館、他3 館、2010、2011年)、「森村泰昌展 ベラスケス頌:侍女たちは夜に甦る」(資生堂ギャラリー、2013年)、「森村泰昌 レンブラントの部屋、再び」(原美術館、2013年)など。文筆活動も精力的に行っており、近著に『森村泰昌「全女優」』(二玄社、2010 年)、『まねぶ美術史』(赤々舎、2010 年)、『対談集 なにものかへのレクイエム―20 世紀を思考する』(岩波書店、2011年)など。 2006年度京都府文化賞・功労賞、2007年度芸術選奨文部科学大臣賞、2011年に第52回毎日芸術賞、日本写真協会賞・作家賞、第24 回京都美術文化賞の各賞を受賞。同年、秋の紫綬褒章を受章。2013年に平成25 年度京都市文化功労者として表彰を受ける。