インタビュー:森村泰昌 No.01
by NIIZAWA Prize
森村泰昌(もりむら やすまさ)さんは、1951年大阪市天王寺区に生まれ、育ち、そして今も大阪で制作を続けている日本を代表する美術家です。
京都市立芸術大学を卒業後、1985年にゴッホの《包帯をしてパイプをくわえた自画像》(1889年)に森村さん自身が扮した《肖像・ゴッホ》(1985年)で遅咲きながら実質的なデビューを果たし、初めて展覧会評も美術雑誌に載ったとのことです。
1989年にはベニスビエンナーレ/アペルト88に選出され国際的にもデビューを果たし、その後は美術に”なる”をテーマに、一貫してセルフポートレートの手法で西洋美術の名画、日本美術の名画、ハリウッドスター、20世紀の偉人などに扮して作品を作り続けています。
本稿は、NIIZAWA Prize by ARTLOGUEの「NIIZAWA 2016」受賞を機会に、森村さんへインタビューをしました。
インタビュー:森村泰昌 No.01
自由に自分の好きなことを、好きな絵を描く。そして楽しむ。なにやってもいいという世界がフィットした
鈴木大輔(以下 鈴木):森村さんは、生まれも育ちも大阪ですか?
森村泰昌(以下 森村):最寄りの駅が鶴橋なんですけど、天王寺区生まれで、いくつか町内会を移ったことはあります。けど、歩いて行ける範囲で小学校、中学、高校ずっと天王寺区です。大学で初めて京都に通ったんですよ。大阪に生まれ育って、制作も大阪を中心拠点として活動してます。実家のお茶屋さんの上、2階が住まいになっていて、そこで暮らしていた時期が結構長くありました。
森村さんの実家のお茶屋「寺田園」
3歳児の森村泰昌くん
鈴木:絵や芸術がもともと好きだったのですか。
森村:小学校に上がる前ぐらいから好きなことの1つでした。みんなソロバンとか、ピアノとか、習字とか習いますよね。僕も少しはやったこともあるけど、今もそうなんですけど、マニュアル通りにするのが苦手というか好きじゃないのです。
例えばお習字っていったらお手本があるじゃないですか。お手本がマニュアルになっていて、見ながら文字を書くとか。音楽でも楽譜にしっかりのっとらないと演奏はできない。楽譜を間違うとそれはよくない音楽なんですね。スポーツもそうだと思うんですけど、みんなマニュアルがある世界なんですよ、大抵のものは。それがどうも昔から苦手で。
もちろん絵というのはデッサンとか、遠近法とか、マニュアルというか約束事があるわけですけど。もう一方でなにをやってもいい、自由に描いてもいいという世界でもあるんですね。自由に自分の好きなことを、好きな絵を描く。そして楽しむ。なにやってもいいという世界がフィットした。
もうひとつは集団で一緒になにかやることも、ものすごく苦手なんです。例えば、チームを組んでやるスポーツなんかはむっちゃ苦手なんですよ。だから1人でできることっていうものになるんです。1人でやる世界っていえば、芸術行為ということになっていったというか。
子供の頃、今でも残ってるんですけど魚類図鑑が好きだったんです。僕らの時代は魚類図鑑ってまだ絵だったんですね。絵があって、下にこの魚はどこそこで生息していて、どのくらいのサイズでみたいなことを書いてあって、それが面白くってその好きな魚を見ながら、絵を描いてました。
学校で描かされる絵ってあるでしょ?それとは別に自主的というか、自分が勝手に好きだからやる楽しみとしての絵。そういうのが絵を描く、美術に関連する表現の始まりかな、そう思ってますね。
森村少年の愛読書『魚と貝の図鑑』講談社
芸術系の大学には行くなと言われました。"ワーク"と"レイバー"は分けろと
鈴木:いつごろ美術大学を目指そうと?
森村:高校生のときに、油絵をやりたくて美術クラブに入ったんですよ。それが僕にとっては貴重な体験で、油絵を一生懸命やってました。印象派の絵から始まって、ゴッホとかフォービズムとか描いていてすごく面白かったんだけど、高校2年生くらいの子供の時代からちょっと大人の時代に足が引っかかるというか、物心つくわけです。今、僕が描いてる絵って、よく考えりゃ100年くらい前の人が描いていたやつで、それをいいなぁ言うて描いてる。そしたら、当時の今、つまり1960年代ぐらいの芸術家たちはなにしてるんだとすごく気になったわけです。
それで古本屋さんに山積みにしてある美術手帖とか見ながら、新しい美術に目覚めていったんですね。それで段々抽象画を描いたり、さらには現代美術みたいなものにも興味を持っていったんです。
高校1年美術部合宿時の写真。
最後列向かって右から三番目が森村さん。
高校生時代に描いた《漁村風景》
高校3年生になったら進学があって、やっぱり美大を目指したいなと思ってたのですが、美術の先生は非常に面白い先生で、芸術系の大学には行くなと言われました。ご自身の体験もあるんですけれど、"ワーク"と"レイバー"は分けろと。レイバーというのは、お金をしっかりと貰って、それで生活をしていくという仕事。ワークというのはそれとは違って、お金にならなくても一生続けていく何か。美術や絵を描いたりするのはレイバーつまり生計を立てる道具にするんじゃなくって、ワークにしなさい。そうでないと、絵が悪くなっていくという考え方で、それを分けなさいと。
「まぁお前がどうしても行きたいんやったらそれは反対しないけど、僕はよくないと思っている」と言われて困ったんですけど、結局、京都市立芸術大学に入りました。けど、そこは子供のときに楽しくて絵を描いていたのとは全く違った大人の世界で、なかなか難しくて試行錯誤をずっと続けてましたね。
鈴木:なぜデザイン科の方へ?
森村:僕の場合、現代美術みたいなものに憧れ、なんかやりたいというのはあったけれども、自分の描く芸術家像がなくて、いろいろ考えているうちに、デザインというのは総合芸術というか、世の中の全てのものは結局デザインじゃないかと思いました。もう1つは、当時だと横尾忠則とかバーっと出てきてる感じがあって、すごいなと思ったり、野外彫刻とかも憧れがあったんですが結局、建築空間みたいなものに非常に密接に関係しているものだから、そうするとやっぱりデザインとしてのジャンルで捉えられるんじゃないかみたいな期待もあり、デザイン科に入学しました。
デザイン科に入学してよかった面は本当にデザイン科って幅広くいろんなことを学べるんですよ。グラフィックとかプロダクトとかそういうジャンル分けはあとからで、最初は立体的なこととかも含めて全部やるわけですよ。幅広くテクニカルなことや、ものの考え方とかを学べたっていうのはすごくよかったですね。
一方で、デザインというのは「表現の芸術とは違うんです」と言う先生も結構いらっしゃるわけです。ファインアートに対するライバル意識が非常に強くあるジャンルでもあったんですね。僕はデザインと芸術の垣根みたいなものがないような世界を期待していたけど、ジャンルはかなり厳密に分かれていて。そんな中で大学時代はほとんどデザインの勉強をせずに、自分なりの芸術表現の模索みたいなことをやってましたね。
”まねぶ”、つまり”まねる”ことが、”まなぶ”ことになっていくんだっていう原型みたいなものがそこにある
鈴木:「まねぶ美術史」展の時に展示していた模倣作品群は学生時代に描いたのですか?
森村:割と多いのは高校生の時代でしたね。大学でもやっていましたけれども発表しようとか、なにか目的があって作品を創るっていうことは割と少なくて。自信がないっていうのもあるでしょうし。人にあまり見せない。自分が影響を受けたものとか、いいなと思ったり気になるものとかをもとにして、自分なりに絵を描いたり、スケッチしたり、立体物のためのプランとか、そんなのを描いていましたけど、ほぼ人に見せてないですね。
描いたものを捨ててないんですが振り返ってそれを見るという機会もずっとなくて。段ボール箱の中に入れて放ってありました。それを随分後年になって、なんかの機会に取り出してみようかと思って開封して見てみると、意外と良いかななんて思える。(笑)
試行錯誤していたわけだけど、”まねぶ”、つまり”まねる”ことが、”まなぶ”ことになっていくんだっていう原型みたいなものがそこにあって。様々なテストケースみたいな世界から、人間の表現の世界が創りあげられていく場所、自分で言うのもなんですけどそんなのが割と生き生きと感じられてね。何十年か経ってやっとみなさんに見てもらってもいいのかなと思って「まねぶ美術史」という展覧会をしたんです。
左:ジョルジュ・ブラック《テオゴニー ( 神統記 )》1955年
右:森村泰昌作 1967年頃
目立たない存在としていてられるかなと思ったら、楽しい気分を削いでネガティブな意味で目立ってた
鈴木:学生時代はどのような生徒でした?
森村:作品を創り出してから、それなりには喋るようにはなったんですが、昔は全く人とは喋らなかったんですよ。本当に口数が少ない学生で。
1970年代の森村さん
あるところで目上の人から怒鳴られたことがあってね。これがまずいんやけど、十数人くらいの飲み会に、いたくもないのにいてしまっているという状況だったんです。みんなで楽しく話をしてるけど、その内容が僕にはあんまり面白くなかったんです。うまく話題に入っていけないし、じっと黙ってたんですよ。
そしたら一番の年長者に「こらお前!そこの全然喋れへんお前!なんやねん君は」とか言われて。ひっそりとライトが当たらない影の世界になってるから、目立たない存在としていられるかなと思ったら、意外とそこの空気が重くなってしまい、楽しい気分を削いでネガティブな意味で目立ってたみたい。
もうひとついつも思い出すのは、喋れないのは本当に困ったことで、大学を卒業してから教員採用試験を2回も受けたことです。1回目は学科とか実技で落ちたんでそれで終わりなんだけど、2回目はそういうのは全部通って、あと面接になったんですよ。僕が受けたときは、6人での集団面接で美術の先生になろうとしている人もいるし、音楽の人もいて。そこで、テーマは「教育という仕事内容と、自分たちの表現活動はいかに両立させることができるのか、またはできないのか」そのあたりのことについて、自由に討論してくださいと言われるわけです。そしたら、みんないろんなこと言いますよね、それでそれを審査官は聞いていろいろ判断するわけですよ。その6人のうちで一言も喋らなかったのは僕だけだったんです。喋らなかったからこれはもう絶対ダメだろうなと思ったら案の定ダメでした。討論中も、ハキハキといろいろなことを言うとか、リーダーシップを発揮できる感じだとか、場を明るくするようなキャラクターだとか、そういう人がいいんやろうなと、話聞きながら考えてたから、一言も喋れなかったんです。
そういう感じやから、目立たないっていうか、先頭に立ってなにかをリードしていくタイプでは全然なかったです。ほとんど1人でいて、セルフポートレート的なこととは真逆の生活をずっとしていたし、今も基本的にそれは変わらないです。
次回へつづく
本稿は、NIIZAWA Prize by ARTLOGUEの「NIIZAWA 2016」受賞を機会に、森村さんへインタビューをしました。
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2018年12月15日 Wikipediaの森村泰昌のページに加筆しました。
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