北川フラムが提唱する“アートの効力”とはなにか 「越後妻有 大地の芸術祭の里」 レポート
石水典子
更新日: 2016.08.21
昨年、出版された北川フラムさんの著書『ひらく美術: 地域と人間のつながりを取り戻す』(ちくま新書)によると、地域づくりにアートが効くと評価が高まったのは、2012年に行われた5回目の「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」を開催した頃だといいます。北川フラムさんは、今年、3年に一度の開催で盛り上がりを見せる「瀬戸内国際芸術祭」や、現在、日本各地で行われているアートによる町おこしのパイオニア的存在の、越後妻有「大地の芸術祭」の総合ディレクターです。同著によると、「大地の芸術祭」開催当初、現代アートによる地域おこしは理解を得にくく、「現代アートなんてせいぜい爆発だろう」、「この地域では受け入れられない。都会から来て何を言うか」と、北川さんは四面楚歌の状態だったといいます。それでも辛抱強く、地域の人と対話をし、芸術祭の内容をブラッシュアップしながら、魅力的な国際的な芸術祭にしていったのです。地域再生としてのイベントなら、芸術祭が行われていない年にも客足がなくては成功とはいえません。昨年、芸術祭を終えた今だからこそ本来の姿が見られるのではないでしょうか。そこで2016年8月5日(金)から8月8日(月)まで、大地の芸術祭の里に訪れてみました。主要なスポットと作品の紹介も含めて、レポートしていきます。
里山の風景からインスピレーションを受けて制作する
新潟県南端にある越後妻有は、日本でも有数の豪雪地帯であり、過疎高齢化が進む地域です。「大地の芸術祭」に展示されている作品の多くは、美術館のホワイトキューブに置かれている純粋美術とは違い、美しい里山と農耕地域の暮らしを地域資源として活かす、サイト・スペシフィック(場所に根差した表現)であることを条件に制作されています。公式サイトを見てみると、今年から春夏秋冬の1年に4回、期間限定イベントを行っています。今回体験したのは、8月6日(土)から8月21日(日)までの、夏のプログラムです。東京から越後妻有への道すがら、関越自動車道を通り、関越トンネルを抜けると棚田が目前に広がり、農耕が盛んな地域であることに実感させられます。越後妻有というのは、芸術祭を開催する際につけた地域名で、十日町、川西、津南、中里、松代、松之山、6つのエリア全域を差します。東京23区より広い地域に作品が点在しているため、今回はより多く周ることができそうな、車を移動手段に選びました。この地域には、芸術祭が始まる前までは、車が通れない道もあったといいます。山道が多いとはいえ、舗装されている安心感があります。移動手段として地元の鉄道を使うこともできます。越後妻有圏域を走るJR飯山線の駅周辺には、アートを通じて訪れた人々と地域の住民が「駅」を基点に交流する「駅プロジェクト」が展開されています。時刻表をチェックして、JR飯山線や北越急行ほくほく線に乗車しても楽しめそうです。北川フラム プロデュースの芸術祭で、アーティストが行うこと
地方がかかえている問題に、少子高齢化が挙げられます。子どもの数が減って学校は廃校になり、若者が都心へ移り住むことで廃屋も増えています。「大地の芸術祭」では、廃校・廃屋になった建物をリノベーションし、芸術祭関連の施設として利用したり、アーティストが作品にする「空家・廃校プロジェクト」を行っています。宿泊施設になっている「三省ハウス」や、「鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館」、「清津倉庫美術館」などは、元校舎が使われています。「絵本と木の実の美術館」は、実在する3名の小学生を主人公にした立体絵本の美術館として、閉校した小学校を再生させた施設。『やぎのしずか』『ちからたろう』などの著作で知られる絵本作家の田島征三さんが、躍動感のある作品にしました。2010年7月に出版された『大地の芸術祭』(北川フラム著/角川学芸出版)に、北川さんが田島さんに作品制作を依頼した時の気持ちが載っていたので、引用したいと思います。美術には流行があるが、それは哲学的な関心に影響されていることが多い。しかし建築はもちろん、小説よりも美術は、どうしようもない生理に深くつながっているように思える。〔…〕だからアーティストの作品は、人柄そのものというか、その人の自然な立ち居振る舞いに近いかもしれないのだ。(p.150)つまり北川さんは田島征三さんの人柄に託したくて、依頼したということでしょう。記述は北川さんが地域再生のための芸術祭を監修する際、アーティストに期待している点について、続きます。
大地の芸術祭は越後妻有という過疎・高齢化の著しい、国によって見捨てられた農業を生業として生きてきた土地特有の資源を焙り出し、そこに焦点をあて、その資源目録を摑むための方法である美術を磨くことによって、地元住民が誇りをとり戻そうとする試みであった。しかし、そこは生身の世界、理屈では止揚できないところが多く、そこをひっぱりだすのは人なのである。そういう意味で、アーティストの人間性が問われる場なのである。(p.151)作品は、鑑賞者が越後妻有という地域を感覚的に理解するためのツールとしても役割りを担っています。北川さんの見解は、地域再生に芸術祭が効力を発揮するための、一つの指針といえるかもしれません。
トリエンナーレが行われていないときの、大地の芸術祭の里
今回、宿泊した三省ハウスで、スタッフとして在中する芸術祭事務局の人に、散策のコツについて聞くことができました。「ガイドブックにあるアート作品には、設置場所の住所が載っていない場所があります。廃屋を再生して作られた施設や作品は、人が住んでいない場所のため、住所がなくなってしまうんです。アートスポットを巡る際、住所がないスポットもあるため、黄色い看板を目印にするといいです。もちろん僕らや住民に聞いてもらっても、教えますよ。」このとき「え? 住民の方に聞いても大丈夫ですか?」と、つい聞き返してしまいました。集落というのは本来閉鎖的なもので、外部からの人間は受け入れられないと思っていましたが、20年近く続く芸術祭が、住人の心を開くのに成功しているということでしょう。大地の芸術祭の里を巡り、気になったことがあります。それはお年寄りだけでなく、若い人を見かける機会がとても多いということです。三省ハウスには1階に食堂があり、見回すとちらほらお客がいて、聞けば芸術祭が開催されていない年にも、リピーターが訪れているといいます。観光客、都心から来るサポーターの「こへび隊」、芸術祭実行委員スタッフなど若い人たちがこの里に訪れることで、田舎の人口減の解決策の一つとしても期待が持てます。現代人が夢を見るための装置
最終夜には古民家自体が作品である、マリーナ・アブラモヴィッチ(Marina Abramović)《夢の家》に宿泊してみました。コンセプトは旅人が2階にある、紫、青、緑、赤4つの寝室のどれかで眠り、見た夢を「夢の本」に書いていくというものです。作品は集落の人が管理していて、泊まるときに作品の説明をしてくれます。このとき案内してくれた女性は「私たちは作品の案内をしたら帰りますので」と、念を押していきました。どういうことなんでしょう?一見、魅力的な古民家に見える《夢の家》は、熟睡せずに夢を見るための仕掛けでもあります。2階にあるのは「ベッド」という名の、棺桶型の木の箱。コンセプトに従うと、マリーナがデザインしたパジャマを着るわけですが、パジャマと言っても全身タイツを着た上に部屋と同色の寝袋を着るのです。パジャマは磁石入りで重いし、夏はたいへん暑い。案内の女性は「私たちは帰りますので、パジャマや棺桶を使わなくても分かりませんよ」と、こっそり親切に教えてくれました。《夢の家》の本質は、家ではなく宿泊者が書く「夢の本」にあります。他の人の見た夢を口外するのはコンセプト的にNGなので具体的な記述を避けますが、ベッドの固さや蒸し暑さに悩まされて、夢を見るどころか寝苦しい長い夜を過ごした人もいるとかいないとか。マリーナ・アブラモヴィッチのコンセプトを尊重するためにも、私が案内係の人の勧めに乗り、棺桶を使わなかったのかは想像にお任せします。シンボル的な作品《棚田》 地域に住む人の尊厳を取り戻す
大地の芸術祭の主要施設に、越後松之山「森の学校」キョロロ、越後妻有里山現代美術館[キナーレ]、まつだい「農舞台」の3つがあります。この3カ所の施設内や周辺には作品が集まっているので、短期間で多くの作品を見るには押さえておきたいスポットです。大地の芸術祭の里に訪れたら外せない作品が、「農舞台」にあります。それがイリヤ&エミリア・カバコフ(Ilya & Emilia Kabakov)の《棚田》です。この作品は、棚田にある「田んぼの耕作、種播き、田植え、除草、稲刈り」の5つのレリーフを、吊るされた「切り文字の詩」越しに見る作品です。耕作者の過酷な労働を想像しつつ、土地を切り拓き作られた棚田自体の美しさを感じることができます。「大地の芸術祭」を代表する作品でもあり、日本の棚田文化を象徴する作品ともいえます。さて美しい田んぼを見たら、美味しいご飯を食べなくてはなりません。焼き物美術館である「うぶすなの家」へ向かいました。ここでは信楽焼き、織部焼きなどの陶器を使った作品が展示されています。また、この地域で採れた山菜や野菜をふんだんに使った定食を食べることができます。働いているのは地元の人でしょう。「こんなところですが」と言いつつ、お代わりの確認や作品の説明など、細やかに対応してくれました。「かまど炊きのご飯はお米が立っていますね。山菜もおいしいです」と伝えると、「お米も水も野菜もこのあたりで採れるものなんですけどね」と、嬉しそう。どうやらお国自慢をされたようです。「こんなところ」という言葉は本心ではないのでしょう。芸術祭に訪れた観光客が残す言葉によって、里山に住む人の尊厳は確かに復活しているようです。なぜ山里の地に惹かれるのか
越後妻有には、常設作品が300点近くあるので、今回、見たくても見られなかった作品が、山ほどありました。一度では見きれなかった作品を目当てに、再度訪れる人は他にもいるでしょう。ただ、それだけで不便な土地にわざわざ来るでしょうか?最後に、なぜ大地の芸術祭にリピーターが多いのか、その疑問を解くカギとなる一節が『ひらく美術』にあったので、引用したいと思います。都市の人は意識的には、あるいは無意識的にか、そんな都市生活に疑問をもっています。一言で言えば田舎を求めているのです、多くの人は自分の五感が開かれていないこと、マニュアル通りに動かなければ便利ではない生活に息苦しさを覚えています。そしてコミュニティのない「孤独な群衆」にすぎないことをよく知っているのです。(p.28)都市生活で疲れた人たちが、アートによって引き出された田舎の魅力に気づき、人のつながり、自然、癒しを求めて里に再び訪れるのでしょう。いつでも楽しめる大地の芸術祭の里 越後妻有は、トリエンナーレ開催時ではなくても、十分に楽しめるものでした。訪れた際には、人の活気を感じ、アートが引き出した田舎の魅力を実感してみてください。「越後妻有 大地の芸術祭の里」 フォトスライド 参考大地の芸術祭の里 公式サイトhttp://www.echigo-tsumari.jp/越後松之山体験交流施設 三省ハウスhttp://www.sanshohouse.jp/index.php『大地の芸術祭』 北川フラム著https://www.amazon.co.jp/大地の芸術祭-北川-フラム/dp/404653205X
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